聞文読報

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9月16日 広渡清吾(公述人 東京大学 名誉教授・前日本学術会議会長)の意見陳述(全文) 参議院『平和安全特別委員会・横浜地方公聴会』

※平成27年9月16日、参議院『平和安全特別委員会・横浜地方公聴会』より

広渡でございます。意見を述べさせていただきます。わたしは「安全保障法案に反対する学者の会」の発起人のひとりであり、国民の反対運動がどのように広がっているかの例として、まずこの会について簡単にご紹介します。

学者の会は、この6月15日に、61名の呼びかけ人によって最初の記者会見を行い、法案反対アピールを採択して、賛同を呼びかけました。現在、学者の賛同者は13,988名となってます。お手元の数字から80名、さらに増えました。また8月26日には、全国から87大学の有志が東京に集まり、法案反対の合同記者会見を行いましたが、現在、全国の137大学において、「法案反対の有志の会」が結成されています。お手元の資料をご参照ください。

普段、政治的な活動に馴染みのない学者の運動が、このように広がっているのは、かつてないことです。しかし、このかつてないことは、学者だけではなく、高校生にも、大学生にも、ママさんたちにも、中年の世代にも、そして高齢者の間でも、また、労働者、医師、宗教者、芸術家、弁護士など、社会各分野にも生まれていて、法案反対の運動は文字通り、国民の全階層に大きく広がっています。

その理由は言うまでもありません。いま日本の国民の多くが、戦後70年の間、日本国憲法の下でつくられてきた、日本の国家社会の柱である、平和主義、民主主義、そして立憲主義が、危機にあることを認識し、安保関連法案が成立するようなことがあれば、日本の国の形が根本的に覆されてしまうと考えているからです。

平和主義とは、国際紛争を決して武力によって解決せず、交渉や協議を通じて解決するという原理です。日本国憲法9条は、このことを明確に規定しています。

今回の安保法案は、安倍首相が、これからの日本の旗印であるとする「積極的平和主義」の名のもとに、集団的自衛権の行使によって、自ら進んで、他国に対して戦争を仕掛けること。地域的限定をはずした外国軍隊への後方支援の名目で、限りなく武力行使と一体化する活動をすること。またPKOにおいて、任務遂行のために武器使用を拡大することを内容としています。安保法案は、これらを通じて、自衛隊武力行使する軍隊として世界に派兵し、自衛隊員が人を殺し、自らが殺される事態を作り出すものであり、その故に、多くの国民がこれを『戦争法案』と呼んでいます。

安倍首相の「積極的平和主義」とは、まさに平和主義と正反対の、武力の積極的使用を意味しています。安倍政権は法案の合憲性を言い続け、集団的自衛権の根拠に、最高裁の砂川判決を援用しています。しかしこうした援用は、まさに曲解であり、この問題に関わって発言しているほとんどすべての法律家が、すなわち、憲法学者たち、弁護士の団体である日本弁護士連合会、歴代の内閣法制局長官最高裁元裁判官たち、そしてついには、元最高裁判所長官まで、法案の違憲性を断じるに至りました。

集団的自衛権は、ある国が他国に武力攻撃を行う場合に、日本が武力攻撃されていないにもかかわらず、他国を助けて、そのある国に武力行使をすることを可能にします。つまり、日本がそのある国に戦争を仕掛けるのです。当然、反撃され、戦争に入ることになるでしょう。

安倍首相は、集団的自衛権を認めても、これまでの憲法9条解釈との論理的整合性と法的安定性は保たれていると言いました。これは国民を欺くものです。これまで政府と国会で、いわば国是として承認されてきた憲法9条解釈によれば、9条の下では、我が国に対する武力攻撃が行われ、国民を守るためにほかに手段がない時に、必要最小限の範囲でのみ、武力の行使が許されるのであり、集団的自衛権は、これを超えるものであるから、当然に認められないとされています。

安倍政権の新しい解釈は、集団的自衛権も、これまで認められた個別的自衛権と同じように、国民を守るためにほかの手段がなく、やむを得ず必要最小限の範囲でのみ行使するのであるから、論理的整合性と法的安定性は保たれていると説明しています。

しかしこの説明は、一方で、我が国が武力攻撃を受けて反撃する自衛権と、他方で、他国が武力攻撃を受けた時にそれを助ける、いわば他衛権の、2つの本質的に異なるものについて、その行使の要件を似たものにすることで、両者があたかも同質のものであるかのような外観を作り出したものにすぎません。

また集団的自衛権は、具体的にどのような必要性のために使われるのか、立法の必要性の根拠となる、いわゆる立法事実も、またどのような要件のもとに発動されるのかについても、国会審議を通じて、極めて不透明であることが明らかになっています。政府の答弁は、「集団的自衛権を認めてくれさえすれば、あとは政府が適切に行使します」ということに、帰着するもののように思われます。これは方式の原則からも絶対に認められません。

法案の内容と並んで問題なのは、その進め方が、民主主義と立憲主義に対する挑戦だということです。安倍首相は「決めるべき時に決めるのが民主主義だ」と言い、この4月にアメリカに約束した手前もあり、今国会で、安保法案をどうしても成立させるつもりのようです。しかし現在の深刻な問題は、国会の多数派と国民の多数派のねじれです。国会の多数派は、選挙の投票における国民の主権行使によって成立した多数派ですが、しかし主権者国民は、その多数派にまったくの白紙委任状を与えたわけではありません。ましてや安保法案は、憲法の平和主義を変えようとする重大な内容を持つものです。主権者国民を、選挙の時だけの主権者に押し縮めることは、民主主義を形骸化させます。

また安保法案は、審議が進むほど重大な問題点が続出し、国会が議論を尽くしたとは、大多数の国民が考えていません。現在の民意に耳をかたむけることこそ、政治家の責務であり、安保法案の強行は、民意を無視し、民主主義、国民主権に背くものです。

安保法案が立憲主義に対する挑戦であることは、憲法9条の解釈を変更して、集団的自衛権を認めた2014年7月の安倍政権閣議決定に始まっています。日本国憲法の改正は、衆参各議員の総議員の2/3以上の発議にもとづき、国民投票によってのみ決定されます。憲法改正は、主権者国民が直接に行使する権限です。このような保障によって、日本国憲法は、国会の多数派とその上に成立する政府の権力行使を規範的にチェックする役割を持っています。

もともと安倍政権は、日本国憲法の全面改正を目指しています。安倍首相は、憲法96条が規定する憲法改正手続きのハードルを下げるために、96条を先行して改正することを目論みました。しかしこれに対する国民の反発は大きく、また憲法全面改正も当面困難だという状況の下で、集団的自衛権を認め、憲法9条を骨抜きにする解釈改憲を図ったというのが、7月の閣議決定でした。政府の権力をチェックする憲法を、チェックされる政府が、自分の政策に都合のよいように変更したというのが事態の本質です。

安保法案は、この7月の閣議決定を受け、今年の4月、日米両政府が合意をした新たな日米協力のための指針、いわゆる新ガイドラインを得て、国会に上程されたものです。新ガイドラインは、安倍政権がすでに行政のレベルで、憲法9条の骨抜きを既成事実化していることを示しています。

これらの一連の事態は、日本国憲法の下での立憲主義の危機を示しています。日本国憲法9条の下、日本は戦後70年の歩みの中で、武力行使をしない国として世界から信頼を勝ち得てきました。日本国憲法の平和主義は、戦後日本の対外関係の土台であり、日本外交最大の資産と考えるべきでしょう。平和主義の基礎には、戦後日本国憲法が確立した、個人の尊厳の原理があります。武力行使は、人を殺傷することを目的とし、当の自分が殺傷されることを当然に含みます。このことが、個人の尊厳と両立しないことは、誰が考えても明らかです。武力の行使は問題を解決するのではなく、問題を生み出すものであることは、現にヨーロッパに押し寄せる難民問題が示しています。

違憲の安保法案の強行によって、アメリカとの軍事同盟関係を強化する道は、個人の尊厳に基礎づけられた、平和主義による、日本国家の高い志と道義性を否定しさるものです。

最後に参議院議員の皆さまにお願いをいたします。

違憲の法案を、国民の過半数の意思を無視して成立させることに、いかなる道理もありません。二院制の下、参議院の独自性と良識に基づいて、すべての議員の皆さまが、国民の代表として、党議の拘束から離れて、国民の反対と不安を自分の目と耳でしっかりと認識し、法案の違憲性を判断して、法案を廃案にするために、行動していただくことを心から希望いたします。

以上です。ありがとうございました。

発言者:広渡清吾(東京大学 名誉教授・前日本学術会議会長)