聞文読報

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7月24日 東京2020エンブレム 発表に関する記者会見・質疑応答(全文) 『東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会』

※2015年7月24日、『東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会』より

記者会見

藤澤秀敏(組織委/広報局長)

皆さま、たいへん長らくお待たせいたしました。本日は、東京2020エンブレム記者会見にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。

わたくし、本日の司会の〔東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会〕広報局長の藤澤と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

それでは本日の列席者を紹介いたします。

公益財団法人〔東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会〕専務理事、事務総長の武藤敏郎です。同じく組織委員会、マーケティング局長の槙英俊です。エンブレムデザインの審査委員を代表して、公益社団法人〔日本グラフィックデザイナー協会〕特別顧問の永井一正さまです。そしてエンブレム制作者のアートディレクター、佐野研二郎さまです。

まず組織委員会を代表して、武藤敏郎からご挨拶いたします。

武藤敏郎(組織委/事務総長)

皆さん、お集まりいただきましてありがとうございます。大会組織委員会事務総長の武藤でございます。

先ほど無事、2020東京オリンピックパラリンピック競技大会の大会エンブレムを発表いたしました。

この作品は、国内外の104名の優秀なデザイナーの皆さんの応募作品の中から、本日お越しいただいております永井一正さん、ご承知のとおり1972年札幌オリンピック大会エンブレムの制作者であられますが、永井一正さんをはじめといたします8名の審査員の皆さんに選考、推薦をいただきました。

その上で、国際商標の確認という手続きがあります。それを経まして、IOC・IPC大会組織委員会にて承認、決定さしていただきました。こちらにおいでの佐野研二郎さんの作品でございます。

まずはじめに、今回制作いたしましたコンセプト動画をご覧いただきたいと思います。

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ありがとうございました。

この、いまご覧いただいておりますオリンピック・パラリンピックエンブレムには、3つの理念があります。

どちらのエンブレムでも黒が象徴的に用いられておりますが、『すべての色を合わせると黒い色になる』ということで、我々はこれを〔ダイバーシティの象徴〕であるというふうに考えています。

それから、どちらのエンブレムにもこの円が、大きな円が隠れていますが、これはお互いの違いを認め合って協調していこうという和の力の象徴、すべての人を認め合う〔インクルーシブな世界〕を表しております。

さらに赤い丸でございますけれども、動画でもおわかりのように、原動力の源となりますひとりの人の〔熱い鼓動〕、これを表しているわけであります。

黒、大きな丸、赤い丸という3つのデザインの要素は、2つのエンブレムに共通の要素でありまして、我々はこれを大事な理念であるというふうに考えております。

2つのエンブレムはこの3つの理念デザイン要素を共有しておりまして、実は、白い部分と黒い部分を反転させますと、2つは同じマークになるという非常に優れたデザイン設計をしていただいておりまして、我々の願いでありました、2つのマークは一見ことなりますけれども、2つが兄弟姉妹のような類似関係にあるという願いを、見事に叶えてくれているというふうに考えます。

また昨今の大会エンブレムは、街中や会場、ライセンス商品など、さまざまな場面で使用されるために、デザイン上の展開力もたいへん重要な要素でありますが、東京という非常に情報量の多い都市の中でも、きちんとアテンションが取れ、くっきりと目立つと考えています。

このあと、Tシャツ、ピンバッチ、公式ライセンスグッズなども販売していく予定にしておりますけれども、来週から制作を開始し、10月の初旬になりますけれども、第一陣の商品をご用意したいというふうに考えております。

わたくしたち大会組織委員会では、この2つのエンブレムのもとで、オールジャパンがひとつのチームになって、総力を結っしていければいいというふうに考えている次第であります。

わたしからは以上でございます。

藤澤秀敏(組織委/広報局長)

続きまして、審査委員を代表して永井一正さまからご挨拶をいただきます。

永井さま、よろしくお願いします。

永井一正(エンブレムデザイン審査委員代表)

皆さんこんばんは。

今回の審査は世界から、日本が主ですけれども、104名の応募者を得たわけですけれども、そのハードルは非常に高いかったわけです。

というのは、世界で、日本、世界で、非常に入賞が困難だとされるような公募の、その2つ以上の賞を獲った人たちっていうのが、要するに公募条件であったわけです。

それだけに、その難しいだけに奮い立ったのか、日本の特にこれといったデザイナーはほとんど全員が参加してくれたわけです。ですから非常に水準の高い公募であったし、コンペティションだったというふうに思います。

その中から審査会としては、2日間にわたって充分に、最初は何回かの投票によって、そして3点を入選作品にしたわけです。その佐野研二郎さんと、原研哉さんと、葛西薫さんていうこの3人は、3人とも現代の日本では最も活躍中のデザイナーたちです。

そしてその中から佐野さんが選ばれたわけですけれども、実は1964年の東京オリンピック亀倉雄策さんのエンブレムが使われたわけですけれども、

その時は6名の指名コンペだったわけで、わたくしも参加したんですけれども、わたくしが落ちた悔しさも忘れて、やはりこれこそ、やはり日本でやる、東京でやるオリンピックにふさわしいエンブレムだというふうに思ったわけです。

そして、その後もそのエンブレムを中心に、有名な亀倉さんの陸上のダッシュのポスターだとか、

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あるいはいろんなものに展開したことによって、日本のデザインプロジェクトがなされた時には、世界に非常に注目をされ、そしてその後のオリンピックにも多大の影響を与えたわけです。

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そういうことで亀倉さんのエンブレムは、非常に太陽の大きな丸と、五輪と、TOKYO1964っていう非常にシンプルなものだったんですけれども、残念ながら今はああいうものは、あれだけシンプルにただ赤い丸が大きく、亀倉さんは太陽っておっしゃってたんですけれども、日本の日の丸ともとれるわけですけれども、そういうのは国際の商標上、今は認められないことになってるわけです。

そういう非常に、いろいろな足かせがあった中で最上のものをっていうことで佐野さんのが選ばれたわけですけれども、奇しくも今年の〔亀倉雄策賞〕っていう、日本で最もグラフィックデザインの中では権威のある賞が、もうずっと続いているわけですけれども、今年の〔亀倉雄策賞〕に佐野研二郎さんが、これ偶然のことですけれども、わたくしがそれの審査委員長もやってるんですけれども、佐野さんが選ばれ、また今回は厳正な審査のもとに、そしていろんな国際商標の通過を経て、佐野さんのが選ばれたという感じです。

以前の、1964年のあの東京オリンピックには、日本のデザイン界が総力を挙げてやったわけです。わたくしももちろん、まだ若かったんですけれども参画して、そしてそれが世界で非常に認められたっていうこと。

そして今回もこれを機に、やはり日本のデザインがさらに飛躍をし、さらに世界に認められ、これの展開が、1964年のエンブレムの展開よりもさらにデジタルのようないろんな媒体が増えてるわけですから、よりきめ細かく、これが日本はもちろん世界に発信されていくんじゃないかと思います。

そしてその累積効果によって、これが世界に非常に好感をもって迎えられると思うんですけれども、何しろこのエンブレム、2つのオリンピック・パラリンピックのエンブレムは生まれた時、いま生まれた時です。ですから健康優良児であってもそれは赤ちゃんであるわけです。そしてそれを育てていくには、よく育てていくには、皆さんのちからが必要なので、皆さんのあたたかいちからによって、愛情によって、このエンブレムをぜひ、2020年の東京オリンピックパラリンピックを成功させる原動力として、育つようによろしくお願いしたいと思います。

以上です。

藤澤秀敏(組織委/広報局長)

永井さま、ありがとうございました。

続きましてエンブレム制作者の佐野健次郎さまからご挨拶をいただきます。

佐野さんは1972年7月29日生まれ。現在42歳、まもなく43歳ということになるかと思います。東京都のご出身です。多摩美大のグラフィックデザイン科をご卒業されて、現在は株式会社MR_Designの代表です。

佐野さん、よろしくお願いいたします。

佐野研二郎(デザイナー/アートディレクター)

よろしくお願いします。

エンブレムのデザインをさしていただきました、佐野研二郎と申します。

僕はデザイナーになって、ちょうど20年近く経つんですけれども、一番最初のこう、目標というか、いつの日かオリンピックのシンボルをちょっと作ってみたいってのが、絶対叶わないであろうなと思ったんですけど、非常に夢でもありましたし、今年〔亀倉雄策賞〕を受賞さしていただいて、さらに東京オリンピックパラリンピックのエンブレムを作らさしていただく機会に恵まれまして、非常にこう、光栄に思ってるというか、いつかやってみたいと思ってることを捨てなければ夢は叶うんだなっていうことを今回、改めて思った次第です。

このエンブレムのデザインコンペに出品する時に、ものすごくこう、いろいろな方向性をちょっと考えまして、やっぱり東京の皆さんもこれが出た時に「あっ、とうとう2020年に来るんだな」というのを、シンボルをはっきり見るともう一回思い出すというか、そういうふうになりえるなっていうことと、あと選手の皆さんも、これからあと5年ありますけれども、さらに練習をして、力強くいろんな成果を残したいなっていうふうに思うような存在でなければいけないとか、結構こう、いろいろ箇条書きにしていくと、非常に難しいシンボルデザインだなというふうに思いました。

やっぱり最初に申しましたように、わたくし亀倉雄策先生の、1964年の東京オリンピックの大きい太陽のようなマークが大好きでして、非常にシンプルで簡潔で力強いというマークがあると思うんですけれども、そこをすごく大切に継承しながら、2020年らしく新しい東京オリンピックを作っていきたいという思いがありまして、大きくはTOKYOの〔T〕でもありますし、TOMORROWの〔T〕、TEAMの〔T〕ということで、みんなの気持ちが一緒になって2020年への道を作るんだということを思いつきまして、正方形を9分割したような形のロゴを作りました。

パラリンピックのデザインの方は、平等という、イコールということを非常に大切に思いまして、この東京オリンピックパラリンピックを2つ並べた時に、お互いが総合しあって、よりいい、素晴らしい大会に見えていくような、そういうデザインにできたらいいのかなというふうに思いました。

やっぱりこう、ずっとこう、長い時間かけてデザインしてきたんですけども、なんかこのシンボルが出ることで、やっぱり日本の皆さんとか、東京の皆さんとか、いろいろな海外の皆さんとかも、なんかこう東京オリンピックに対しての気持ちがひとつになるというか、そういうふうにデザインのちからでなりえることができるんじゃないかという大きい理念を持って、丁寧にデザインさしていただいたつもりでございます。

本日はありがとうございました。

質疑応答

藤澤秀敏(組織委/広報局長)

佐野さま、ありがとうございました。

それでは質疑応答の時間に移ります。

挙手いただきますと、わたくしの方から指名いたしますので、マイクが来るのをお待ちください。ご質問の際には、はじめにご所属とそれからお名前をお願いいたします。また、どなたに対してのご質問かも指定してください。よろしくお願いいたします。

それでは質問のある方、挙手ねがいます。

NHK(イマイ)

永井さまと佐野さまに1つずつ聞かせていただきます。

まず永井さまに、3つ入選作品あった中で、この佐野さんの作品を選ばれたいちばんの選考ポイントを教えてください。

それから佐野さまに、今回、組織委員会からのブリーフィングの中で、和をひとつの象徴としたエンブレムだという説明がありました。

実際このデザイン拝見して、あの赤い丸が日の丸のようにわたしには見えたり、あと全体的にもこう、和風なイメージを持ったんですけれども、その和風、和というところは反映されてると考えてよろしいんでしょうか。

その2点、それぞれお願いいたします。

永井一正(エンブレムデザイン審査委員代表)

いろいろ議論が尽くされたわけですけれども、やはり佐野さんのこのエンブレムの良さっていうのは、東京で開かれるっていう、強いタイポグラフィーが基礎になってるわけですけれども、単にタイポグラフィーじゃなくて、やはり〔T〕と、そしてその、審査で決まった、いろいろ国際商標上、変化はしたんですけれども、パラリンピックはちょうど重なる感じでイコール、東京のオリンピックとパラリンピックがイコールの関係にあるっていうことに結果としてはなったという、それが、そしてやはり全体の円っていいますか、その中に包まれているっていうことが非常に重要なポイントじゃないかと思います。


佐野研二郎(デザイナー/アートディレクター)

和についてなんですけど、やっぱり東京オリンピック、2回目ということで、ちょうど50年ぶりに東京にやってくるということなんですけども、これは非常に意識しないといけないなとまず思いました。

その、いろんな色を使うという選択肢ももちろんあるんですけれども、やっぱり五輪のカラーというのは結構いろんな色も使われてますので、エンブレムに関しては非常にシンプルな方向でできないのか。日の丸であるとか赤い丸っていうものを象徴的に見せるために、ほかの色をあえてモノクロだったりとか、金と銀ということに置き換えてやることで、より象徴的に見えるのかなというふうに思いました。

実際、デザインしてる時に〔TOKYO2020〕というふうに打った時に、ちょうどTOKYOの〔O〕が、2つ目の〔O〕が、ちょうどこう、いま中心にくるようにデザインをしてるんですね。

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その真ん中の、五輪の真ん中の黒が、そのまま上にこう伸びて黒になっていて、五輪のいちばん右の赤い丸があると思うんですけど、その丸がそのまま上に移行すると日の丸になるというようなデザインにしていて、全体的にこう、円で囲われたようなようなものにすることによって、1964年の東京オリンピックのイメージも引き継ぎながら、さらに東京と日本が新しい方向にむかっていくシンボルができるんじゃないのかなっていうことを、いろいろなものをデザインする中で見つけ、発見することができまして、自分としても、これは東京オリンピックのエンブレムとして発表するのに相応しいのかなっていうことを確信して提出した、ということでございます。

読売新聞(ユウキ)

佐野さん、それから武藤さんに伺います。

佐野さんに、たしかにぱっと見その、こう、金と銀、それから黒、伝統の色使いのようにも見えてまいります。工芸を連想させるような。非常にその、日本的でおもしろいと思いました。そういったそのお考えがあるのかどうか。

それに関連して、ここまでの直近のオリンピックは、たとえばそのソチにしてもドットコムであったり、それからロンドンにしても2012のかたまりにしてみたり、もっとその若者のポップな感じを出してきたようなところの流れも見受けられます。

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若者にどういうふうにそれを、伝統、そういうところにその、足を置いたまま、若者にどうアピールをしたかったのかというのをお教えください。

そして、そのさっき、64年、太陽のマーク、大好きだったとおっしゃいました。この背景の、その抜きの部分というか、そのインクルーシブな円の部分、これはそれをある意味でオマージュとしてお使いに、意識されたのか教えてください。

武藤先生、ロンドンの場合は〔2012のロゴ〕の五輪マークとかを抜いて、あちこちの、ご存じのように、地域でイベントを行う時に、そのイベントの統合の象徴としても使いました。このマークは、そのような用途で出来うるようなデザインとお感じになるかお知らせください。

佐野研二郎(デザイナー/アートディレクター)

まず、先ほどの質問にもちょっと重なるところがあると思うんですけども、和についてなんですけど、非常に強く意識しました。

この、ここ数年のオリンピックの傾向として、やっぱりこう、カラフルであるとか、そういうのがあると思うんですけれども、東京オリンピック2020に関して、エンブレムに関しては、この、シンボルは非常にシンプルな状態なんですけども、それをできるだけシンプルでなければならないと思ったんですね。すごくシンプルなんですけど、それは単純ということではなくて、いろんな意味の凝縮とかが入ってたりとか、ある意味の複雑化みたいなことが、いろんな意味が内包されてるシンプルさというのがいいかなということを思いました。

それで、このエンブレムは、このままいろんなものにこう、くっつきますということだけではなくて、昨今の、このデジタル的なものってのは結構メディアとして出てますので、いま紹介の映像にあったように、わりとこのエンブレムの、これはちょうど正方形を、先ほども申しましたように9分割してるんですけど、9分割してそこの中にいろんな、三角形にアールがついたものとか、円とか正方形が入ってるんですけども、それをこう、組み合わせることによっていろんなパターンができていくんですよね。それがある模様になったりとか、ファブリックになるとか、いろんな展開ができるぞっていうことがありまして、シンボルの考え方としては非常にデザインとして新しい、東京と日本の新しいデザインのやり方として、世界に発信できるものになったのかなっていうことを思っております。

(同一の質問者による発言、音声なし)

そうです。それは、やっぱり64年の太陽というのは、非常に東京オリンピックにとっての象徴的なエンブレムだと思いますので、その影響を残しながら新しいデザインに進んでいくっていうことがけっこう大切なことかなというふうに思いましたので、そのDNAを忘れないように次に進むという姿勢がこのデザインには入っています。


武藤敏郎(組織委/事務総長)

後半のご質問は、第2エンブレムをイメージされておったご質問なんですか?それとは関係ないんですか?第2エンブレムじゃないんですね?

(読売新聞(ユウキ):ええ。ロンドンの時のように、いわゆるそのエンブレム、メインのエンブレムそのものからオリンピック・パラリンピックのマークを取って、そしてそれを利用して、別なエンブレムを作るというかたちがあるか...)

これの展開をどのようにするかっていうのは、先ほどちょっと見ていただきましたが、まだ我々、具体的には考えていませんけれども、こういうような柄のイメージを使いまして、

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それこそ扇子だとか団扇とかですね。あるいはネクタイだとかそういうような。あるいはこう、幕ですね、会場の中に張る幕なんかに、こういうパターンを使ったようなことで展開していったらどうかなというふうに思っています。これはこれから具体化したいというふうに思っております。


槙英俊(組織委/マーケティング局長)

あとそれから、文化イベント等のエンブレムについても議論をして、非常に展開性が取りやすいデザインにしていただきましたので、積極的に開発していきたいと思ってますが、五輪を背負える、背負えないのところは、マーケティングのとこの絡みもございますので、IOCとも協調しながらやっていこうと思ってます。

ニコニコ動画ナナオ

よろしくお願いします。

まず佐野さんにはじめにお伺いしたいんですが、黒が全体的なこう、ぱっと見で言いますと、コンセプトは『すべての色が混ざると黒になる』ということになるというのはよくわかるんですけれども、黒というカラーがけっこう強烈なインパクトで、ガーンとこう目にくるんですが、この黒を中心にデザインしたというのは、何か意識をされたんでしょうか?黒について。

佐野研二郎(デザイナー/アートディレクター)

やっぱりダイバーシティという『すべての色が集まると黒になる』というのが、五輪の真ん中もちょうど黒の輪っかになってると思うんですけども、それとリンクするような形で中心に、そのダイバーシティを象徴するようなものがあって、それが2020年への道となるような、すごい水平の、あ、垂直のラインがあると思うんですけど、その道ということを非常に大切に思ったんですよね。それは2020年への準備の道でもあるし、選手がそこの2020年の大会までの練習の道だったりとか、いろんなことを象徴するような、見る人によっていろんな意味をこう、考えさしてくれるような、なんかそういう想像力の働くようなシンボルになりえるといいかなっていうことを思ってデザインしました。

ニコニコ動画ナナオ

なるほど、わかりました。

もう一点追加で、今までのその先ほどもちょっと質問にありましたけども、歴代のオリンピックでいうと、その黒が中心になったエンブレムというのはあまり記憶にないんですけど、そういった今までにないカラーリングでこう、デザインされるというのは意識はされたんでしょうか。その結果黒っていうのはあったんでしょうか。

佐野研二郎(デザイナー/アートディレクター)

はい。

それも非常に意識してまして、やっぱり1964年の東京オリンピックの赤というのが非常に象徴的だと思うんですよね。エンブレムにとって色っていうのは非常に重要な要素で、いろんな意味を内包するような言葉になりえると思うんですね。

今回はパラリンピックと一緒にこう、シンボルとして出していくということがありましたので、すべての色が合わさった時の黒っていうのは、やっぱり今回2020年の東京オリンピックパラリンピックの象徴カラーになりえるんじゃないのか、逆にそれは今まであんまり黒っていうのをメインカラーにしてこなかったっていうことがあるのを、逆にそれを東京2020が取るというようなかたちの方が、日本のデザインのアピールとしても非常に強いのかなというふうに思いました。

ニコニコ動画ナナオ

よくわかりました。ありがとうございました。

あともう一点、武藤さんにお聞きしたんですけども、ちょっとひと言なんですが、先ほどの発表会で森会長が、発表される直前、「わたしもまだ見ていないんだ」ってことをおっしゃったんですけど、これはどういった経緯なんでしょうか。森会長がご覧になってなかったっていうのは何か特別な意味があったんでしょうか。

武藤敏郎(組織委/事務総長)

たしかにそういうふうにおっしゃいましたですね。それはまったく見てないっていうことではありません。少なくとも直前にはご覧になってる...


槙英俊(組織委/マーケティング局長)

誤解があると思うんです。あそこの後ろのあれを見てないっていう意味で。審査の過程で確実にご覧になってますので、上、後ろのあれを見てないっていう意味だったと思います、はい。はい。

朝日新聞(ハラダ)

佐野さんに伺います。

佐野さんは1972年札幌オリンピックがあった年にお生まれになって、1度目の東京オリンピックは知らない世代でいらっしゃると思います。

先ほど亀倉さんのデザインへの、すごく衝撃というお話は伺いましたけれども、佐野さんの人生の中でなんかオリンピックとの接点というか、原体験があれば教えていただきたいなと思うんですが。今回のデザインを発想するにあたってインスパイアされたことでもかまわないんですが。

よろしくお願いします。

佐野研二郎(デザイナー/アートディレクター)

ぼくが、わたくしが、物心ついた時にロサンゼルスオリンピックの開会式が非常に印象的でして、その時の音楽ですとか、そういったものはなんか非常に心に残っていて、自分が美術とデザインの道に進む時に、いつかああいうようなものに携わることができたらいいなっていうのはすごく思っていたところはあります。

TOKYO FM(スズキ)

佐野さんにお伺いしたいんですが、佐野さん、いつの日かそのオリンピックのシンボルを作りたいというのが夢だったというふうに先ほどおっしゃっていましたよね。このシンボルが、エンブレムとして採用されたというふうに知った瞬間は相当なものがあったと思うんですが、改めてそこら辺の思いの部分、自分のその作品が採用されるというふうに決まった瞬間の思いというのが、何かエピソードもありましたらそれも含めてぜひ教えてください。

佐野研二郎(デザイナー/アートディレクター)

単純に夢かと思いました。もちろんコンペティションに参加する以上、やっぱり採用されたいということは誰しもあると思うので、もちろんこう懸命に夜を徹してデザインしてた覚えがあるんですけど、実際決まったという話を聞いた時に、まさかということがちょっとあって、逆にそのあとに起こりうるこう、責任とかいろんなことがこう頭によぎって、正直ちょっと、怖いなというのもちょっとありました。

ただいろんな商標ですとか、いろんな調整をしてる中、今回、エンブレムの発表の日を迎えることができまして、大きい幕が取れてエンブレムを見た時に、やっぱりこう、自分のいろいろな迷ってたこととか、悩んでたことみたいな、もちろん制作上あったんですけども、それは、そういう時間は間違いじゃなかったというか、これを持って、いろいろな選手の方とか若いアスリートの方が今日いっぱいいらしてましたけども、それでこう、希望をもっていただけるようなものになったっていうふうにこう、聞きまして、非常にこう、デザイナー冥利に尽きるというか、そういうことをちょっと感じまして。

でも、もちろんこういうデザインっていうのは永井先生もおっしゃってましたけど、これから年月をかけて皆さんの手で作り上げていくようなところって、やっぱあると思うんですよね。そういうこう、いい意味で余白のあるエンブレムになりえたのかなっていうふうに思いまして、非常にエンブレムの採用の時のあの「夢か?」みたいなことが、いやこれはほんとに夢じゃなくて、これから5年ありますけど、どんどんこれを現実にして、ほんとにすごい歴史に残る東京オリンピックにしていくぞっていうこう、なんていうかな、野心というかモチベーションがさらに、デザイナー個人としても上がったという瞬間だったので、非常に今日は幸せな夜でした。

藤澤秀敏(組織委/広報局長)

ありがとうございました。これで質疑応答を終わらせていただきます。

このあとステージ上で制作者の佐野研二郎さまのフォトセッションを行います。メディアの皆さまはステージの準備が整うまで、いましばらくお待ちください。

永井さま、ありがとうございました。


たいへんお待たせしました。準備が整いましたので、フォトセッションを開始いたします。 

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以上をもちまして東京2020エンブレム記者会見を終了いたします。本日はお忙しい中ご来場いただきまして、誠にありがとうございました。

発言者:武藤敏郎(組織委/事務総長)、槙英俊(組織委/マーケティング局長)、永井一正(エンブレムデザイン審査委員代表)、佐野研二郎(デザイナー/アートディレクター)、藤澤秀敏(組織委/広報局長)

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