櫻井 水曜日です。独立総合研究所、青山繁晴さんの登場です。青山さんおはようございます。
青山 おはようございます。
櫻井 ハワイで取材されたそうですが、何の取材されたんですか?
青山 はい。今年の夏は敗戦後70年なるっていうのは、もうみなさんよくご承知なんですが。
櫻井 はい。
青山 その前、日米の開戦からは74年目なんですね。
櫻井 はい。
青山 で、ご承知のとおり、1945年12月8日に真珠湾攻撃があって、そこで日米戦争になり、本当はそれが、日本の敗戦につながっていくんです。
櫻井 はい。
青山 で、今櫻井さん仰ったとおり真珠湾に行ってきたっていうのはですね、といっても土曜の深夜から日曜未明にかけて出発して、昨日火曜深夜に戻ってくるっていう、まーいつもどおりの無茶ぶりの、あのー、強行軍って言うのも、
櫻井 そうですね。
青山 (笑う)、どうかと思うぐらいの・・・無茶な日程なんですけれども、
櫻井 はい。
青山 ただし無茶をしてでも今行かなきゃいけないと思ったのはですね、この敗戦後70年で、ま、安保法制案での大騒ぎも加わって、
櫻井 はい。
青山 ますます、実際の戦争の現実と遠ざかっていく日本の、いや私たちの思い込みやあるいは思い込まされっていうのが、真実から遠ざかっていくと思いまして、それで真珠湾に行くとですね、
櫻井 はい。
青山 実際に日本軍に攻撃されたアメリカの元兵士、そういう方がぎりぎり生き残ってるんですね。
櫻井 あぁ、はい。
青山 で、そういう生き残りの方に会えるうちにと思って、まぁ無理を押してでも行きまして。で、行くまでは、果たして会えるかどうかよくわからなかったんですけども。
櫻井 はい。
青山 行くと、まぁ、あのー、言わば天の差配というか、恵まれてお会いできた方、たとえば、まもなく94歳になる方で、当時当然20代の兵士だったわけですけれども。
櫻井 はい。
青山 連合艦隊、日本の連合艦隊から飛び立った攻撃機が、一番最初に攻撃した格納庫。まぁハンガーって言いますけど。
櫻井 はい。
青山 そこで朝の、軍人としての勤務をしてたら、日本軍が空から襲いかかってきたと。
櫻井 はぁ~。
青山 で、ご自分のいらっしゃった格納庫はもちろん全部破壊され燃やされ、自分の戦友たちも、次々戦死をしたけども、ま、ご自分は奇跡のように生き残った人なんですね。
櫻井 はい。
青山 この方とお話しますと、もうはっきり仰ったのは、まぁ原文は英語ですけれども、「日本軍は実にフェアだった」と。
櫻井 フェアだった?
青山 はい。
櫻井 はい。
青山 で、素晴らしく訓練されてて、そして民間人や民間施設は一切攻撃せずに、我々とフェアに戦った素晴らしい人々だった、と断言するんですよね。
櫻井 ほうほう、はい。
青山 それで、実は、僕はもう30年以上前から、この真珠湾に、言わば通いつめていて。
櫻井 はい。
青山 で、大きな目的は、この真珠湾は今もアメリカ軍の、一番の拠点があるんです。
櫻井 はい。
青山 アメリカ太平洋艦隊とアメリカ太平洋軍全体の、陸軍も空軍も海兵隊も合わした、太平洋湾司令部ってありまして、そこによく議論に行くんですけれども。
櫻井 ええ、ええ。
青山 その、議論行った時に、たとえばこの司令部の道挟んだ反対側に、真珠湾の記念館があって、これ、あの観光客がよく行かれるわけですね。で、リスナーの方も行かれた方多いと思うんですよ。
櫻井 はい。
青山 ところが行かれるとですね、必ず、ちょっとした船に乗って、その沈められたアリゾナの上に行って、そっから油がいまだに出てくんのを見て、日本は酷いことしたんだっていうような刷り込みで帰ってこられる方多いんですが、
櫻井 はい。
青山 これ本当は、そういう部分はその場所だけであって、その記念館自体これ2棟あるんですけれども、
櫻井 ええ、ええ。
青山 絶賛してるんですよ日本軍を。
櫻井 ほう。
青山 それが、あの、これあの僕の言ってることが本当かどうか是非行ってみて欲しいんですけれども、
櫻井 はい。
青山 もちろんすべて英語の展示だけですけれども、
櫻井 ええ。
青山 世界の人に見せるために展示してるから非常に簡単な英語、にしてありますし、まぁ今の時代スマホで難しい単語あれば、あのー、調べてみることも出来るでしょうから、見ていただきたいんですが、要は日本軍の方がアメリカ軍よりよっぽど先進的で優れていたと。で、そのためにアメリカはやられてしまった。
櫻井 はい。
青山 で、やられたために反省をして、翌年のミッドウェー海戦でやり直し、いえやり返して、祖国を守ったっていう展示になっていて、
櫻井 はい。
青山 例えば日本では忘れられてる空母赤城、戦艦大和じゃなくて、空母の赤城が、推定3千万から4千万以上かけて再現されてて、
櫻井 はい。
青山 で、その船をきちんと再現するだけじゃなくて、零戦を始めとする戦闘機乗り、のパイロット。
櫻井 はい。
青山 それだけじゃなくて、たとえば車輪のところに屈んでいるエンジニア。
櫻井 はい。
青山 そういう下積みの人まで、もうほぼ全員と言っていいぐらい丁寧に丁寧に、それも凛々しく、フィギュアとして再現されてて、
櫻井 ほう。
青山 隣に沈められたアリゾナの模型が置いてあるんですが、これは非常に簡単な作りになっていて、
櫻井 へぇ~。
青山 しかも艦長さんらしき人ひとりと、あと水兵さんひとりしか再現してなくて、あとは省略なんですよ。
櫻井 はい。
青山 で、言わばその理由みたいなものもちゃんと書いてあって、このアリゾナは遅れた考え方の遅れた船だったから、負けてしまったんだと。
櫻井 ああ。
青山 で、さらにそういうことだけじゃなくて、戦争になった理由が丁寧に解説されてるんですが、日本が軍国主義とか侵略でやって来たってことは全然書いてなくて、
櫻井 ふーむ…
青山 資源の無かった日本が、アメリカなどによって輸入路を断たれたから、やむを得ず戦争になったってことが書いてあってですね、
櫻井 ほう、書いてあるんですね~
青山 あの本当に、行ってみて欲しいんですが、この2棟の記念館のその前に、すごく簡単にまとめた一枚のパネルが立ってるんですけどね。
櫻井 はい。
青山 そこになんて書いてあるかというと、第二次世界大戦前はアジアでの新秩序を求めて、アメリカと日本が対等に、言わば出てきたと。
櫻井 ふーむ…
青山 それが、もっかい言いますよ?アメリカが民主主義で日本が軍国主義だったって書き方してんじゃなくて、その言わば新しいリーダーシップを両方とも、フェアな国益として求めたんだってことが明記されてて、
櫻井 はい。
青山 そしてさらに、すいません、一瞬英語ですけど、《both hope to avoid a war》、これアメリカ英語で強調したい時は現在形になってるんですけども、
櫻井 はい。
青山 日本もアメリカも、アメリカも日本も、戦争を避けようとしたと。はっきり、書いてあるわけです。
櫻井 はい。
青山 それで真珠湾に衝突になったけれども、と書いてあってですね。
櫻井 あ~
青山 この展示がどうして、こんな風にあるのかってことも、この生き残りの方に聞きたかったからそれを聞きましたら、当然じゃないかと。
櫻井 はい。
青山 日本軍はほんとにフェアで素晴らしかったから当たり前の展示だと仰るんで、すいません、ご存知ですか?敗戦後の日本では70年間、日本軍はすべて悪者だったという教育がなされて、メディアでもそう言われて、僕もそういう教育を受けたし、僕の今関わってるメディアも、はっきり言うとほとんど多数の人がそういう表現をなさるんですよって言ったら、この生き残った94歳になろうという方は、本当にびっくりされまして、
櫻井 ほーう。
青山 そんなことがあるのかい?と。
櫻井 おお~
青山 どうして、そんな間違ったことを考えているんだいっていうことを、仰いまして、で僕はしかし、同じアメリカでも本土では《remember pearl harbor》って言って、
櫻井 ええ。
青山 真珠湾攻撃は卑怯だったから、長崎や広島の原爆投下も、いいんだという教育してんじゃないですかって言ったら、それは確かにあるんだと。しかしこのやられた現場で、日本軍と実際向かい合った私たちは、日本の、あるいはアメリカの真実を知ってるんだと。あれはフェアな戦いだったと、いうことを仰るわけです。
櫻井 ほぉ~
青山 で、これをですね、あの、真珠湾に行かれた方も、もう一度行きなおして欲しいし、それから真珠湾から車でわずか20分のワイキキの浜辺には、日本人の観光客今夏休みですしね、ものすごいたくさんいらっしゃる。
櫻井 はい。
青山 ところがほとんどおいでにならないんですよ、この真珠湾には。
櫻井 ふーむ。
青山 中国人の観光客の方々はワイキキの浜辺から必ずバスで大量にこの記念館にやって来て、そして、僕は中国語話せませんけど、聞くのはある程度できますけれど、
櫻井 はい。
青山 そのガイドさんが、日本人は悪魔だと書いてあると。
櫻井 はい。
青山 いう風に中国人の観光客に言って、英語のたぶんわからない中国人の観光客が、あ~と頷いてる光景を目の当たりにするわけですよ。ねえ?目の当たりにするわけですよ。
櫻井 はい。
青山 他のメディアの話で恐縮ですけれども、この、言わば記録というのは、『虎ノ門ニュース8時入り』っていうCS放送でまもなくやります。
櫻井 はい。
青山 ネットでも無料に、無料で同時に放送をしますし、本でも書きますので、そういうのも参考になさってくださるのと同時に、観光のついででいいですから、ワイキキの浜辺、何日か過ごすうちの、たった数時間でいいですから、この真珠湾に行って、記念館を歩いて、さらにその奥に、戦艦ミズーリって船が泊ってて、そこに、特攻隊の突入した跡が今も残っていて、わずかな凹みなんですが、
櫻井 はい。
青山 その特攻隊員の千切れた上半身を、わざわざ、そのミズーリの艦内で、赤と白の布を探して、旭日旗に縫い上げて、
櫻井 へぇ~
青山 そのまだ10代の戦闘機乗りの体を包んで、アメリカ海軍の正式な、その海軍葬を、船の上で戦中に、戦いの最中に行ったっていう場所もありますから、
櫻井 はい。
青山 今までの私たちの教わってきたこと、メディアに刷り込まれたこと、本当なのかってこと、是非現地で僕の話を参考に、機会に行ってみてください。
櫻井 はい、ありがとうございました。
青山 はい。
櫻井 独立総合研究所、青山繁晴さんでした。