聞文読報

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1月9日 植村隆 元朝日新聞記者 記者会見・質疑応答(全文) 『日本外国特派員協会』

※2015年1月9日、『日本外国特派員協会』より

記者会見

植村隆

皆さま、きょうはお忙しいところ、わたしの記者会見に来ていただきましてありがとうございます。

パリの新聞社襲撃事件で、多数の記者たちが亡くなったことを、本当にショックを受けています。

1987年5月に、わたしの朝日新聞でも同じ、同期の記者、小尻知博記者が、やはり支局に襲撃されて殺されたという事件がありました。改めて、その事を思い出してショック、今回の事件を本当に衝撃を受けて、受けとめています。同じジャーナリストとして、こうした暴力には絶対に屈してはいけないというふうに改めて思いました。

わたしが非常勤講師として勤めています北星学園大学にも、きのう、また脅迫状が送られてきました。匿名の名に隠れて、こうした卑劣な脅迫行為は絶対に許すことができないと思います。なぜ、北星学園大学に脅迫状が来るかといいますと、わたしがそこに勤務しているからであります。

去年、日本の週刊誌『週刊文春』という週刊誌の記事で、わたしが「捏造記者」というふうにレッテル貼りをされました。それで、まったくわたしの記事とは関係ない大学にまで、こういうふうな脅迫行為が及んでいるのです。

わたしは、訴訟準備のために東京にいましたんで、大学の方には行ってなかったんですが、改めて、わたしのために、こういうふうに大学が脅迫にさらされることに心が痛みます。

本日、わたしは『週刊文春』を発行する文芸春秋社、及び、その週刊誌にコメントを発表した東京基督教大学西岡力氏の両名を、名誉毀損訴訟の被告として裁判を起こしました。

わたしは、わたしの人権、わたしの家族の人権、家族の友人の人権、勤務先の北星学園大学の安全を、守るためにこの訴訟を起こしたのであります。

わたしは24年前の1991年、朝日新聞大阪社会部時代に、韓国で名乗り出た「朝鮮人慰安婦」のおばあさんのつらい体験の記事を、署名入りで2本書きました。この記事が原因で、23年間ずっとバッシングを受けております。

この記事で、わたしがその存在を報じた方は金学順さん。韓国語ではキムハクスンさんとおっしゃる方で、韓国でカミングアウトした第1号の「慰安婦」でありました。彼女の勇気ある証言によって、「慰安婦」の生の証言が世界に伝わって、そしてたくさんの「慰安婦の被害者」が名乗り出るようになった。そういう意味では、「慰安婦問題」が世界に知られるようになった、その証言者の第一号のおばあさんでした。

1年前、『週刊文春』の2月6日号、1年前の2月6日号ですね。今からちょうど1年近く前に発売された記事に、その91年の、皆さんのお手元にあります、91年の8月の記事が批判的に紹介されました。

この見出しを見ていただけるとわかりますが、『慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大学教授に』とあります。

西岡氏、先ほどわたしが訴えた西岡氏ですが、西岡氏はこの週刊誌のコメントで、わたしの記事に対して、

強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事といっても過言ではない。

というふうにコメントされています。

この記事であります。皆さん、見てください。

この記事の、本文といいますが、本文の2段落目に、

女性の話によると、中国東北部で生まれ、17才の時に騙されて慰安婦にされた。

と書いてます。

しかし、西岡氏はわたしのそうした記述にはここでは触れないで、『騙されて慰安婦にされた』という記事には触れないで、「強制連行があったかのように書いており、捏造」というふうに言っております。

これは、フェアではないと思います。

わたしの記事は、リードで「女子挺身隊」という言葉を使いました。

当時、韓国では「慰安婦」の事を「女子挺身隊」、あるいは「挺身隊」という言葉で表現しておりました。しかし、西岡氏は92年の4月の『文芸春秋』で、これについて重大な事実誤認というふうに批判しておりました。

その当時、西岡氏は、92年4月の『文芸春秋』の記事では、

『朝日』にかぎらず日本のどの新聞も、金さんが連行されたプロセスを詳しく報ぜず、大多数の日本人は「当時の日本当局が権力を使って、金さんを慰安婦にしてしまった」と受けとめてしまった。

と書いています。

しかし、その後はわたしだけを狙い撃ちにして批判しております。98年頃から「批判」が「捏造」という言葉に変わりました。同じ91年の記事に対して、評価を変えてしまってるんです。フレームアップだと思います。

そして、結局その流れで、去年の2月6日の『週刊文春』は、わたしを「捏造記者」とレッテル貼りをしました。これはフレームアップの延長線上だと思います。

この記事が原因で、わたしの転職先の神戸の女子大学に嫌がらせのメール、電話が多数、殺到しました。そして、わたしが、いま、勤務している北星学園大学には、さらに多くの抗議のメールや電話がかかってきます。そうした抗議の電話の一部は、インターネット上に公開されて、さらに憎悪を煽り立てています。

標的は大学だけではありません。わたしの家族、娘にまで及びました。

娘の写真がインターネット上にさらされ、誹謗中傷が書き連ねています。つられています。

たとえばこんなのがあります。

こいつの父親のせいで、どれだけの日本人が苦労したことか。親父が超絶反日活動で(ちょっとここの文面が不明ですが、超絶反日活動で稼いだ金でという意味だと思いますが)、贅沢三昧に育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない。

うちの、わたしのパートナーは韓国人です。つまり、うちの娘は、父親が日本人で、母親が韓国人なのであります。そうすると、娘の書き込みに「ヘイトスピーチ」のような、コリアンを差別するような言葉まで出てきます。

わたしはこうした週刊誌、『週刊文春』の「捏造」というレッテル貼り、そして西岡氏の言説が、結果的に、こうした状況を引き起こしたのではないかと思っております。

司法の場で、わたしは言論の場でも、手記を発表して反論をしております。それだけじゃなくて、法廷の場でも「捏造記者」でないことを認めていただこうと思ってます。

わたしは、「捏造記者」ではありません。普通、不当なバッシングに屈するわけにはいかないのです。


神原元 植村隆弁護団 事務局長

弁護士で神原と申します。

弁護団の方より、若干、補足させていただきます。

植村さんの訴状は、本日、東京地方裁判所に提出されました。被告は、株式会社文芸春秋及び東京基督教大学教授の西岡力さんということになります。裁判で、植村さんは次の3つのことを求めていきます。

ひとつ目に、インターネットからの西岡さんの論文の削除です。もうひとつは、謝罪広告の掲載です。そして、損害賠償として1,650万円の支払いです。その根拠は、この「捏造」という記載が、名誉毀損に基づく不法行為に該当するということになります。現在、170人の弁護士が代理人として、植村さんの裁判を支援しております。

他方、植村さんを攻撃している『歴史修正主義者』は、ほかにもたくさんおります。

わたしたち、弁護士は、これからも次々と裁判を起こし、植村さんの名誉の回復を図っていきたいと考えております。

わたしからは以上です。


中野晃一 上智大学教授

中野でございます。上智大学の教授でございます。

わたくし、あまりそんなに、付け足すことはないんでございますが、ただ、わたくしはほかの何百人といたします学者、あるいはジャーナリストの代表として、植村さんと一緒に、この攻撃に立ち向かいたいというふうに考えております。

やはり、その人権を守らなくてはいけない、市民権を守らなくてはいけないと考えている多くのプレス、学会の人たちがたくさんおるわけでございます。学者の世界の人たちがたくさんいるわけでございます。

皆さまのご記憶にあるかと思いますが、3ヶ月前に、わたくしは北海道の山口先生と一緒に、ここで記者会見をさしていただきました。当時、植村さんの契約が更新されるかどうかっていうのが、非常に微妙な状況だったわけでございます。北星学園大学も非常に揺れてたと思うんでございます。しかしながら、非常に英断をされたわけでございまして、とりあえず1年間の契約更新ということになっているわけでございます。

ここで、3ヶ月前に皆さんがお集まりいただいて、たくさんの記事を書いてくださったことについて、お礼を申し上げたいと思います。

皆さまの記事、皆さまの発信力が、北星学園の考えを変えるためにも大きく役立ったと思います。

ありがとうございました。

質疑応答

リチャード・ロイド・パリー(ザ・タイムズ紙)

通訳なし

植村隆

どうも、質問ありがとうございました。

まず、家内のことです。わたしのパートナーのことについて話したいと思います。

わたくしはこの記事に、先ほど言いました記事は、91年の夏に書いた記事であります。

わたしはその前の年、1990年夏に2週間、韓国に取材に行きました。それは当時、日韓で注目を浴びてた「慰安婦問題」で、「慰安婦」のおばあさんたちが、もしかしたら生存されてインタビューができるのではないかと、取材ができるのではないかと思って行ったんです。

ところがもちろん当時は、そういう戦時中のつらい体験を語る方は、ひとりも会えませんでした。

わたしは、慰安婦のおばあさんたちを調査している「韓国挺身隊問題対策協議会」、「挺隊協」といいますが、そこに行ったり、あるいは戦争の犠牲者たちの会、「太平洋戦争犠牲者遺族会」の事務所などにも、しょっちゅう行きました。

慰安婦のおばあさんたちには、まったく、その2週間の取材で会えませんでした。でも、ひとりの女性に出会いました。

先ほど言った「太平洋戦争犠牲者遺族会」、通称「遺族会」というんですが、そこで事務を執っている若い女性でした。

その女性は、あとでわかったんですが、韓国では母親と娘のファミリーネームが違うので、あとでわかったんですが、その「遺族会」の幹部の娘さんでした。

その女性と恋に陥り、結婚しました。

91年の夏に、この「慰安婦」のおばあさんを、韓国の市民団体が調査しているという記事を書きました。

わたしを批判する人は,、この記事を、つまり、この記事が一番最初に「慰安婦」のカミングアウトの前の「慰安婦」の存在を明らかにした記事だったんです。それで批判してるんですね。わたしの妻の母親の情報によって記事を書いたんだというふうに、わたしを批判しています。

そして、この団体は、わたしのパートナーの母親の団体とは違う団体なんです。

そして、このわたしの義母は、このおばあさんの存在を、わたしの記事のあとに知ったといいますか、出会ったわけです。このおばあさんと。

当時のソウル支局長の情報で書いたわけで、親族関係を利用して書いたわけではありません。朝日新聞の8月の検証記事でも、そして先日発表された12月の第三者委員会の報告でも、縁戚関係を利用して記事を書いたというふうな疑惑はまったく否定しております。

わたしは先ほど言いましたように、わたしのパートナーと出会う前から「慰安婦問題」を取材をしております。

これはファミリーアフェア、家族の問題として取材してるわけではないんですよ。女性の人権問題として取材しているわけです。だから結婚しようが、結婚しまいが、取材は続けたと思います。

続いて、朝日のスタンスについてどう思うかということに答えたいと思います。

朝日新聞は、このわたしの2本の記事とは別に、「吉田清治証言問題」というのを抱えていました。

この、吉田清治という人は韓国、済州島で女性を慰安婦にするために「人狩り」、「強制的に連行した」という証言をして、いろんな新聞、朝日新聞だけじゃなくて、さまざまな新聞に記事が出た人です。

8月の朝日新聞の特集紙面で、わたしの記事については「捏造がない」というふうに明快に発表しました。しかし、「吉田清治さんの証言」は取り消しました。

この時に、その取り消した時に、謝罪がなかったということで大きなバッシングを受けたわけです。わたしもそう思います。

だけれども謝罪はして、取り消したわけですね。遅くなったけれども、取り消した。

ところが、その朝日新聞は、つまり、わたしが、いま、非常にバッシングをされて、家族までバッシングされる状態になっている。それで非常に思うんですが、萎縮してると思います。

わたしは「捏造記者」ではありません。

それは、これから証明していきますし、今まで書いた『文芸春秋』、今月、1月号の記事などでも書いております、その証明を。

わたしに対するバッシングの理由は、わたしが朝日新聞記者であること、わたしが「慰安婦」のおばあさんの記事を最初に書いたこと、そして、わたしの家内が韓国人であること。そうしたことだと思います。

わたしを攻撃して萎縮させ、そして、わたしの出身母体である朝日新聞を萎縮させたいと考えてる人々がいるんじゃないでしょうか。

もう、謝罪して取り消したわけですし、今は。

改めて、朝日新聞には元気を出して、取材、慰安婦問題に取り組んでいただきたいと思います。慰安婦問題、解決しているわけではないので。

マイケル(シーゲッツニュース局)

通訳なし

植村隆

これまでも北星学園に対する脅迫、嫌がらせ問題について、文部科学大臣がそれを批判する発言をされたりしております。皆さん、そういう気持ちを持っておられると思いますんで、ぜひ、そういうことで、北星学園大学を首相にも支えていただければと思ってます。

ドイツのフリーランス記者

通訳なし(わたしは79歳で現役記者とはいえず、詳細を把握していないのですが、あなたはこの件で朝日新聞を解雇されたのですか?不当解雇された抗議で会見しているのですか?というような問答あり、質問はなし)

植村隆

言っておきますが、わたしは朝日(新聞社)を辞めさせられたわけではありません。先ほど言いましたように、わたしはいま56歳です。1958年4月生まれです。だから、あと4年ぐらいは働ける権利があるわけなんですが。(笑う)

ただ、わたしは50歳を過ぎてから勉強をするのが好きになりました。大学の博士課程の後期課程に入りまして、博士論文にも取り組んでおります。

それから、2012年から北星学園、札幌の北星学園では非常勤講師をやっております。教えてるのは国際交流講義といいまして、アジアの留学生たちに、日本の社会事情、文化を教えてます。

学生時代は勉強嫌いだったんですが、歳取ってから勉強が好きなことに気づきました。そして、アジアの学生たちと交流するのがとても楽しかったです。

それは、わたしがソウル特派員、北京特派員、中東特派員を体験して、アジアとのかかわりの大切さっていうのを知ったからです。

それで、大学教員に転身しようと思いまして、いくつかの大学の応募、これ、公開、公募というんですが、公募に応募して、神戸の大学に採用が決まったわけです。

しかし、抗議のメール等で、神戸松蔭は非常にショックを受けて、事実上、わたしに辞退を求めたわけあります。それは示談というかたちで、合意で契約を解消しました。もちろんその時に、朝日新聞もそのあとで辞めましたから、戻る方法もあったかもしれません。

だけれども、「捏造記者」というレッテルは、もう貼られたままです。そのレッテルをはがすため、レッテルを貼った者と戦うためには、朝日に戻らず、ひとりのジャーナリストとして戦おうと思いました。

なぜなら、戦うためにはたくさんの時間がいるんです。

この、「捏造記者」というふうに記事を書かれてから、わたしは、捏造記者でないという証拠を探すために、毎日とてもたくさんの時間を使ってきました。

そして、わたしを取材するいろんなメディアは、たくさんの質問状を送りつけてきます。時間がたくさんかかるんです。残念ですが、フリーになって時間があるので、それができるというのが今の現状であります。

エリソン(シンガボール・ビジネス・タイムズ紙)

通訳なし

神原元

日本でも名誉毀損罪という形で、当然、刑事罰はあります。今回、訴えているのは、これは民事での訴訟ということになります。

言論の自由というものもありますので、今現在、名誉毀損罪がゆるすぎると、だからもっと強化すべきだというふうには、これはわたし個人の意見ですが、考えております。

レイノルズ(ブルームバーグ

通訳なし(マイケルがした質問のうち、いくつかに答えていないからそこに戻りましょうというような発言。フランスの新聞社襲撃との対比についてと思われる。)

植村隆

わたしは、いまのところ言葉で脅されてるだけです。

パリの事件はほんとに痛ましい事件です。何らかの憎悪が原因で起きたと思います。やはり、寛容さが欠けている人々が、こういうふうなことを起こしたんじゃないかと思ってます。

わたしは、いま、物理的な攻撃を受けてるわけではありません。

ただ、わたしの記事が「捏造」というふうに言われますが、当時は同じようなスタイルの記事が、他の新聞にもたくさんあったんです。それが、いま、こういうふうなかたちでターゲットになって、個人が標的になってバッシングされている。

やはり、寛容でない社会に起きている現象という点では、共通点があるかもわかりません。

歴史の暗部、日本でいえば戦争中の触れられたくない過去。それに対して目を向けようという人たちに対して、それを怯ませようという動きが日本にあると思います。それが、誰なのかわかりません。

たとえば、わたしの家に嫌がらせ電話がかかってきました。わたしの家の電話はまったく公開していません。だけれども、後で調べたらインターネットにわたしの電話とか家の場所、娘の学校の名前、そういうものが出ていました。

弁護士にお願いして、誰が書いたか発信先をつきとめる作業を、何日もかけてやりました。しかし、わかりませんでした。こういうふうな匿名性に隠れて、非難する人々がどんどん増えていると思います。それがわたしの記事とはまったく関係のない、わたしの勤務先にもこれだけたくさんの攻撃がかかっています。

日本は民主主義の社会のはずです。こういうふうな卑劣な行為は絶対許さない。

皆さんのちからを借りたいと思ってます。

フリーランスのエガワ

わたくしが伺いたいのは、植村さんへの批判に「反日」というレッテルも貼られてるわけですけれども、こういった「慰安婦問題」などを書いた「反日記者」である、あるいはそういう書くことによって日本を貶めているというようなこともずいぶん言われています。

こうした過去の問題について書く時に、日本について植村さんはどのように考えていらっしゃるんでしょうか?あるいは、その最近、台頭している、このいわゆるナショナリズムというものが、こういった攻撃に関係してるとお思いでしょうか?

その辺についてお聞かせください。

植村隆

いま、ちょうど関連する資料をお見せします。ここに、わたし宛のハガキが、大学の気付、大学の住所に送られてきました。読んでみましょう。

出ていけ この学校から

出ていけ 日本から

売国奴

とあります。

これは大学に送りつけられたハガキであります。

こういうのもあります。

日本で金をかせぐな

大好きな韓国に帰化して

姑に食べさしてもらえ

しかし、わたしは反日ではないんです。わたしは日本が誇り、日本が他のアジアから尊敬される、本当の仲間だと思われる国になってほしいんです。

そういう意味では、わたしは、自分で愛国者だと思っております。

学生に言ってます。僕の学生は韓国、台湾、中国から来る留学生が多いです。いつも言ってるんですが、もちろん日本で、いま、不愉快なことがたくさんあるかもわかんないけど、日本もいいところあるし、やはり、日本と隣国は大切な関係なんで、ぜひ、日本でいろんなことを学んでほしい。

わたしは幸いなことに、ソウル特派員と北京特派員という、ふたつのアジアの街の特派員をさせていただきました。

人々、その時の政治情況で、国と国との関係はよくなかったりありますが、どの街も、人間として同じようにわたしは触れ合えて、ほんとにいい隣国の人たちと仲良くなりました。

そういうふうな学生と接してるわけです。僕はアジアの中で、隣国との関係がとても大切だと思ってます。それをずっと記者としても、この記者の間、考えてきましたし、訴えてきました。

(突如として感極まり涙声で)まったく知らなかったんですが、僕の学生が日本語スピーチコンテストで、スピーチをしてくれました。植村先生を辞めさせないでくれと。日本に言論の自由とか学問の自由がなくなっていったら、それは隣国にも影響がある。そんな学生をもって僕は幸せでしたんで、絶対にこんな卑劣な脅迫で大学を去りたくないと思ってます。

こういう卑劣な書き込みとか攻撃する人たちのことを、なぜそういうふうなことをするのか、わかりません。ただ、ひとつだけ言えるのは、たぶんそういう人たちは、韓国や中国の人と友達がいないんじゃないかなぁ。そういう人たちと触れ合ったことがないんじゃないかなぁ。ただ、頭の中で排外主義、ナショナリズムが高まってんじゃないかなぁというふうに思ってます。

ジョエル(フランスの放送局)

通訳なし

中野晃一(英語)

通訳なし

チョウ(韓国聯合ニュース

実は、昨年11月、先生が勤めている大学校に、脅迫電話をかけて逮捕された人がいたと思います。その人は逮捕されましたけど、略式起訴をされて、わたしの目から見ると、そういう処分はほんとに軽すぎました、と思いますけど、この事件に対しての検察の処分と、この政府の、先生の勤めている学校に対しての姿勢はどうだと思いますか?

ありがとうございます。

植村隆

たしか、新潟県の男の人が逮捕されたと思います。まったく面識のない人であります。名前もわたしは存じ上げませんでした。

ひとつ、わたしはジャーナリストとして残念なのは、なぜ、この人がまったく見知らぬわたしのことで大学を脅迫したのか、そのあとのフォローの記事が日本のジャーナリズムにないことです。

逮捕された時は大きく出て、処分、略式起訴、罰金刑ですが、だんだん小さくなります。事件で一番大事なのは動機であります。この人がどういう動機でこのようなことをしたのか、その解明こそがこうした行為を防止する方法ではないかと思います。

この処分が重かったかどうかは、わたしはわかりません。ただ、抑止効果にはなったと思います。

北星学園というのは、学生数がたった4,200人の小さな学校です。しかし、明治時代にアメリカの宣教師が作ったミッションスクールであります。1995年の戦後50年の時に、北星平和宣言というのを発表した学校でもあります。アジアの侵略戦争の反対と、そして人権教育の大切さを訴えています。

(突如として感極まり涙声で)こんな小さな大学が、この激しい攻撃に耐えて、わたしを雇い続けると、学問の自由を守ると言ったわけです。小さな大学が、大きな勇気を示したんです。

北星学園のこうした平和宣言というのは、日本政府が歩む道でもあると思います。日本政府が歩む道でもあると思います。

必ずや政府も北星学園を支援して、こうした卑劣な行為を食い止める力になってくださると思います。


神原元

弁護士の神原ですが、今の件でひと言だけ申し上げます。

札幌の現地の弁護士から、現地の警察はこの脅迫問題に関して、必ずしも熱心でないというような情報をもらっております。

そこで、弁護士が300人以上、名前を並べて、刑事告発をすると、そのような運動もやっております。

日本の警察はきちんと、このような卑劣な犯罪を取り締まるために戦うべきだということも、ここで訴えさせていただきたいと思います。

フリーランスのゴエース

きょうの会見は、もっぱら、植村さんの被害者の立場を非常に強調されたわけです。ほんとにけしからんことだとは思っておりますけれども、一方で、吉田発言について、植村さんは、ちょっとわたし記憶にないんですが、何本記事を書かれたんでしょうか?

それで、これが虚偽だと、朝日新聞は表明されたわけですが、これについて、この問題について、これは先ほどから、どなたかの質問にもありましたけれど、この吉田発言が、証言というのが非常に反日機運を煽ったわけです。

これについて、植村さんはいま、どういうふうに思っていらっしゃいますか?

植村隆

先ほどもちょっと触れましたが「吉田清治証言」の記事、ありますね。わたしは、一本も書いておりません。

わたしは、吉田清治証言のあとに、慰安婦問題の取材を始めたわけであります。吉田清治証言の取材はしてなくて、そのあとに「慰安婦」のおばあさんに直接取材を始めた世代であります。

本屋さんに売ってる本に、朝日バッシングの本があるんですけれども、そういう中にも「吉田証言」をたくさん書いた植村記者というような表現があります。だいたい、こういうのこそ、こそ、捏造というもんじゃないかなぁ思っとります。

今月号、昨日発売された『世界』に、その辺のことを書いております。いかに、デマ情報が活字にまでなっているのかっていうのが出ています。

わたしが書いた金学順さんの記事っていうのは、当時のことをいま調べましたら、わたしの書いた8月11日の記事、これはまったく韓国でも報道されてませんでした。

このため、わたしは反日機運を煽ったと言われても、煽ってません。むしろ、日本がアジアの中で、本当に信頼される仲間になるための作業をしていると思ってます。

発言者:植村隆、神原元、中野晃一