10月2日 具志 孝助(自由民主党) 一般質問(全文) 沖縄県議会『平成27年第7回定例会』
※平成27年10月2日、沖縄県議会『平成27年第7回定例会』より
具志 孝助(自由民主党)
皆さん、こんにちは。一般質問を行います。順番の入れ替えをさせていただきました。ありがとうございました。通告にしたがって行いますが、まず1点目は、「普天間飛行場返還の見通しについて」であります。
実は、ご案内のとおり、普天間飛行場の返還は、1996年、平成8年ですか、沖縄に関する特別行動委員会(SACO)合意によって、返還合意がされるわけで、以来19年の年月がたちました。橋本総理、モンデール米大使、二人のあいだで合意をされて、当時沖縄県知事は太田さんであったわけですが、大田革新県政もたいへん喜んで、普天間の危険性の除去ができるというようなことでありました。
ただし、これはSACO合意、10施設の返還が合意をされております。まず、大きい所で北部訓練場、那覇訓練場、ギンバル訓練場、楚辺通信(所)、読谷飛行場、キャンプ桑江、瀬名波通信施設、牧港補給基地(地区)、那覇港湾施設をお聞きになれば、まあ、どこどこがなって、どこどこがまだだなあということがよくわかります。
それから訓練についても、104号線実弾訓練(県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練)、これも移転をいたしました。それからパラシュートの降下訓練、これもしかりであります。
このように、まあ、できた所もあるわけですが、たいへん残念なことに、都市地区における最もわれわれが緊急に返還をしてもらいたい所が渋滞をしているというようなことであります。
普天間の移設問題、まさに19年、総理大臣が11名代わりました。橋本から今の安倍さん、11名代わってるんです。沖縄の県知事も4名代わった。わたしたちが当選した、翁長知事も当選して、浦崎副知事が当選した翌年、合意になっております。19年ですよ。われわれ40代後半だった。今もう70代ですよ。これはなんですか。政治の責任ですよ。ほんとに腹をくくってやらなければならないと思って、決意をして臨まなければならないと思うわけであります。
このように、ひととおりの流れを申し上げました。われわれが腹をくくってやらないことには、この問題は解決しないということであります。しかしいまどうなんですか。
1996年に合意ができて、そして名護に移設することが、その3年後、1999年に名護、その沿岸域に移設するということを決定した。そして2013年に、埋め立て申請がされた。2013年3月。そして9か月間の審査を経て、2013年12月に承認をして、いよいよ着手と。かと思いきや、今回、「承認手続きに瑕疵あり」と。こういうようなことで、行政手続に瑕疵がある。したがって承認は取り消しと。こういうことをしなければならないと知事は表明しました。
取り消しっていうことはどういうことですか。白紙に戻すということなんです。またここで白紙に戻るということなんですよ。ほんとにこういうようなことでいいのか、真面目に考えなければならないと思っております。
もう、このごろでは基地問題で質問通告を出しても、当局は質問取りに来ないです。「質問の内容はどういうことですか」と聞きに来ないんですよ。もう似たり寄ったり。質問も同じ、答弁も同じ、「とにかく嫌なんだ、新基地(普天間飛行場代替施設)建設反対」。
イデオロギーよりはアイデンティティと、知事はおっしゃるけれども、わたしはまさにイデオロギーが先行してしまってるんじゃないか、このように思うわけであります。
あらためて取り消しというようなことになれば、白紙になるというようなことですが、いよいよこの見通しについて、どのように考えているのか、知事にお伺いをいたしたいと思っております。
それから、わたしは、戦後70年。やはり戦争から70年ということであります。わたしたちのこの沖縄の地に、46の都道府県の慰霊碑が立っております。これらの慰霊の塔、あるいは碑も、相当の年月が経過をいたしました。
先般、平成27年8月11日、沖縄県知事は厚生労働大臣に対しまして、戦没者遺骨のDNA鑑定と同時に、民間建立慰霊の塔の整理について要請をしたところであります。評価をいたします。
そこで、その慰霊塔の整理について、現状をお伺いをしたいと思っております。
関連質問は、これまた繰り返しの質問になりますけれども、新垣 良俊(あらがき・りょうしゅん)議員の代表質問の中で、基地問題、普天間…違った? あ、誰だった? 仲田 弘毅(なかだ・ひろき)だ、ごめんなさい。失礼した、仲田 弘毅の代表質問の中で、普天間飛行場移設のなかに、那覇港湾整備計画と、高江地区におけるヘリパッド建設。この質問がありました。
那覇港湾整備については、港湾管理組合のほうで、平成7年で協議会が設置をされて、普天間地区のほうに移設をするというような基本計画案が了承をされております。その後、那覇市のほうから、当時翁長市長から、軍港の移設と港湾の整備計画は切り離してやってもらいたいと、まあ、こういうような発言がありました。
浦添も、従来の市長は受け入れ表明、儀間さんまでそうであったわけでありますが、玉城市長が当選をしたのち、やはりこれを受け入れをしないと浦添地区の開発・整備はできないということで、4月に受け入れを表明をしたと。こういう経緯があります。
そこで、いよいよ混沌としているわけですけれども、これも整理をしなくてはならない。なんとしても港湾管理組合、いわゆる協議会で協議をしなければなりませんが、そこの町の県知事であります。松本市長は、なんとしても県知事と協議をした上で、地元で話を整えて、国、港湾管理のほうにあげていくのが順当じゃないかということで、お話し合いをしたいというような、こういうような申し入れもあるわけですけれども、いったいぜんたい、この港湾整備計画を、どのような考えであるのか、お伺いしたいと、こう思っております。
高江のヘリパッド、これも最大のいわゆる訓練、米軍基地であります。そこの過半を返還しようと。ただし、いま20基以上ですか、あるヘリパッドを6基に、いわゆる整理・統合をしてやるんだと。
このことについては、ここにきて、政府も力をあげて、いわゆる沖縄の基地負担軽減のために、これはちょっと力をいれてやりましょうということで、先般の集中協議の中で、菅官房長官からの申し入れがあったと思っております。これも、翁長知事のきちっとしたスタンスを示さないかぎり、前に進まないと、こう思っております。
この件についての基本的な考え方をお示しいただきたいと思います。よろしくお願いします。
翁長 雄志(知事)
具志 孝助議員のご質問にお答えをいたします。
「戦没者慰霊事業について」に関するご質問の中の、戦没者慰霊事業の現状と課題についてお答えをいたします。
戦没者慰霊塔の管理につきましては、建立者の責任において行うべきであると考えておりますが、関係者の高齢化等に伴い、じゅうぶんに管理がなされていないなどの課題が顕在化しております。沖縄県では、維持管理が困難な民間建立慰霊塔などについて、整理事業を行うよう、平成27年8月11日に厚生労働大臣宛て要請をしております。
こうしたなかで、沖縄県平和祈念財団は、民間建立慰霊塔などの維持管理を行っており、戦没者慰霊事業の推進に大きな役割を果たしております。沖縄県としましては、今後も慰霊塔の管理が安定して行われるよう、沖縄県平和祈念財団と引き続き連携をしてまいります。
その他のご質問につきましては、副知事、部局長から答弁をさしていただきます。
町田 優(知事公室長)
「基地問題について」のご質問の中で、普天間飛行場の返還の見通しについてお答えします。
普天間飛行場の早期返還及び危険性除去は、県政の最重要課題であります。特に5年以内の運用停止については、たいへん重要であるとして、政府との集中協議において、取組状況について説明を求めたところでありますが、政府からは具体的な言及はありませんでした。
県としましては、政府との今後の協議のなかで、普天間飛行場の早期返還及び危険性の除去を強く求めてまいりたいと考えております。
次に、「わが党の代表質問との関連について」のご質問の中で、那覇港湾施設の移設についてお答えします。
県としては、那覇港湾施設の返還が実現されれば、基地負担の軽減、跡地の有効利用による発展に寄与すると考えており、これまでの経緯を踏まえつつ、協議会の枠組みのなかで進めることが、現実的と考えております。
一方、普天間飛行場については、「辺野古の新基地(普天間飛行場代替施設)をつくらせない」ということを、県政運営の柱にしていきたいと考えております。県としては、知事公約の実現に向けて全力で取り組んでいるところであります。
次に、「わが党の代表質問との関連について」のなかで、北部訓練場のヘリパッドの移設についてお答えします。
北部訓練場の過半の返還について、県はSACO合意事案を着実に実施することが、本県の基地の整理・縮小及び地元の振興につながることから、その実現を求めているものであります。その条件とされている6か所のヘリ着陸帯の移設については、当該地域の自然環境や地域住民の生活への影響をめぐって、さまざまな意見があるものと承知しております。(尖閣諸島等、島嶼防衛に必要な)オスプレイについては、日米両政府に対して、配備撤回を求めてまいります。今後、地元の意見も踏まえつつ、検討をしてまいりたいと考えております。
以上でございます。
具志 孝助(自由民主党)
普天間飛行場の返還のためにあらゆる手段を講じるということで、先般、知事は国連演説をなさいました。われわれは、国連演説の機会を与えていただいたNPO(NGO)法人の方々のことを聞いて、これは「沖縄が先住民扱いだ」との立場で話をされると、話が違うなあと。基地問題で訴えることは大いに結構、かまいませんが、そこは慎重にあるべきだと思って、申し入れをいたしました。
まあ、内容において、新聞でしか知りませんけれども、この国連で、基地問題について、どういうような演説をされたのか、われわれには明らかにされておりません。
本来であれば、県知事として、沖縄県を代表して、国連、世界の場で意見を述べるということであれば、事前に議会のほうにもお示しいただいたほうが、筋じゃないかなあとも思ったんですけれども、まあまあ、それは信頼してよしとするけれども、やはり[聞き取り不能]をされた以上は、正式に、この場で、どういう挨拶をしたということは明らかにすべきだと思っています。
2分間の演説ですから、中身が長いものでもないと思っておりますから、その内容について、まず報告をしていただきたい。
町田 優(知事公室長)
それでは、知事のスピーチの内容を読み上げたいと思います。
「沖縄の人々の『(民族の)自己決定権』がないがしろにされている辺野古の状況を、世界中から関心を持って見てください。
沖縄県内の米軍基地は第二次世界大戦後、米軍に強制接収されてできた基地です。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。
沖縄は日本国土の0.6%の面積しかありませんが、在日米軍専用施設の73.8%が存在しています。戦後70年間、いまだ米軍基地から派生する事件・事故や、環境問題が、県民生活に大きな影響を与え続けています。
このように沖縄の人々は『(民族の)自己決定権や人権』をないがしろにされています。自国民の平和、平等、人権、民主主義。そういったものを守れない国がどうして世界に国々とその価値観を共有できるのでしょうか。
日本政府は、昨年沖縄で行われたすべての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を(公有水面埋立法に則って、沖縄県内でこれまで数多行われてきた、また現在も行われている、今後も行われる予定の埋め立て事業と同様に)埋め立てて、辺野古新基地(普天間飛行場代替施設)建設作業を強行(普天間飛行場の危険性の除去と防衛力整備を両立すべく、法律に則って進捗)しようとしています。わたしはあらゆる手段を使って、新基地(危険性の除去を主目的とした市街地からの移設のための普天間飛行場代替施設)建設を止める覚悟です。きょうはこのような説明の場がいただけたことを感謝しております。ありがとうございました。」
という内容です。
具志 孝助(自由民主党)
時間がたいへんタイトですから、手短にしゃべりますので、失礼があったらお許しをいただきたいと思っております。
この短い挨拶のなかで、「(民族の)自己決定権」というのが、2回使っているんですよね。先ほどうちの、自民党の花城議員からもありましたが、「(民族の)自己決定権」というのは、耳新しい、この議会でも、話ですが、今回知事が出かけるにあたって、NGO代表の方々、いわゆる少数民族の権利を求めている方々が、少数民族の権利回復、「(民族の)自己決定権」、自分たちのことを自分で決めるんだと、こういうようななかで使われてる言葉でありますけれども、この「(民族の)自己決定権」については、なかなか、この誤解されやすいところがあるんですが、この点いかがですか、知事。
喜納 昌春(議長)
町田 優 知事公室長。
具志 孝助(自由民主党)
これだめだ。知事が演説したんだから、知事に答えてもらわないと。あなた(町田知事公室長)では駄目なんだよ。
喜納 昌春(議長)
町田 優 知事公室長。
具志 孝助(自由民主党)
ちょっと待ちなさい。誰が答えてもいいというような話ではないです。知事の演説に対して、わたくしは(質問を)やっているわけですから、知事が出かけていってお話しされたんですから、知事が目の前にいるんだから、どうして知事が(答弁に)出ないんですか。それは駄目ですよ。
議長、それなりにひとつ、しっかりお願いします。
喜納 昌春(議長)
休憩します。
再開します。
翁長知事。
翁長 雄志(知事)
まあ、今日までの慣例等では、部局長が答えることも、県議会ではたびたびあったようには承知しておりますけれども、まあ、具志先輩が、そういうふうにご指名でありますので、わたくしのほうから説明をさしていただきます。
まあ、「(民族の)自己決定権」という言葉は、いま具志議員の指摘するような面もあるかもしれませんが、普通に言いますと、いわゆる多くの県民、国民から見ましたら、そこで生きてる人たちが、何かひとつの政策の中でも、自分たちの民意が通らず、そして大きなもの(国の専権事項である外交・安全保障政策)のなかで翻弄されてるというようなことも、やっぱり「(民族の)自己決定権」の中には入るのではないかなあというふうに思います。
まあ、(独自の見解による)沖縄の歴史を説明もしたんですが、やっぱり1879年に日本に併合(編入)されまして、そして一生懸命がんばって、そして、よき日本人として誇りを持って生きていこうとしたんですけれども、戦争が起こって、そして唯一の地上戦(東京都小笠原村硫黄島を含む、あらゆる日本領等で数々の地上戦が起きた)が沖縄で起きて、そして軍隊と一緒に逃げ回ったんですが、10万人を超える人が亡くなってしまったと。
それで戦争が終わったら、収容所に入れられてるあいだに基地が出来上がってしまった。そして1952年にはサンフランシスコ講和条約で、わたしたち(翁長氏を中心とした勢力と同じ考え方を持つNGOが主張する「先住民族」なるもの)の民意もへったくれもある意味ではないわけでありまして、わたしたち(翁長氏を中心とした勢力と同じ考え方を持つNGOが主張する「先住民族」なるもの)はその時から、日本人でもなくて(米軍の占領下及び米国による信託統治下におかれた日本国民)、アメリカ人でもない。そういったような立場に20数年、おかれたわけであります。
ですからそういったようななかで、ある意味で人生といいますか、沖縄県そのものが翻弄されたような部分があるもんですから、先住民族というようなものの、そういった統一的な意味合いではなくて、自分たち(翁長氏を中心とした勢力と同じ考えを持つNGOがいうところの「先住民族」なるもの)の関わりのないところで翻弄されてきたなあという意味からすると、「(民族の)自己決定権」というのも言葉の使い方としてはおかしくはないのではないかというふうに思って、わたくしは「(民族の)自己決定権」というのを使いました。
おっしゃるように、そういったものの、見るときの、いろんな方々がいろんな立場で、それに理由付けもしますけれども、わたしはそういった意味合いを含めて、国連のほうで(沖縄県の有権者の負託を受けた県議会の承諾を得ずに、沖縄県の有権者である日本国民が出身地を問わずすべて先住民族であるかのような誤解を与える)説明をさせていただいたと思っております。
具志 孝助(自由民主党)
今回の便宜供与をしてもらったNGOの皆さま方が、そういう(特定の思想をもって独自の見解を主張する)団体であるために、誤解がないようにというようなことで申し入れをしたつもりですけれども、この議論は時間がありませんので、あとに譲りたいと思っております。
もう一点、自国民の自由、平等、人権、民主主義(すべて日本国憲法の下に保障されている)。そういったものがわれわれには認められていないと、こういうような内容でもって、日本政府を批判されました。いかにも、この演説を聞きますと、なんでも、沖縄県民が「迫害」を受けていると。こういうような、人権理事会で、あえて沖縄県知事が、そういうような、あの場でそういうような内容の発言をしたということは、そういうような誤解も出てきたんではないかと思うんですが、その点はいかがですか。
翁長 雄志(知事)
まあ、先ほど申し上げました(独自の見解による)歴史的な経緯も含めて、去年の沖縄県民の民意が出たにもかかわらず、防衛大臣等々は何をおっしゃるかというと、他の所はあたったけれども、知事や市長が反対するんだよというような話(沖縄県内での移設で日米合意がなされている案件を、政府が米国との外交関係も考慮せず、他の都道府県に打診することは考えられない)をするなかで、沖縄県についてはそれしかないというような話(普天間飛行場の危険性を除去するために日米間で協議をした結果、県内名護市辺野古沿岸部へ移設することが日米二国間で承認されたという話)をされるわけであります。
ですから、まあ、「迫害」という言葉をどの程度の強度に考えるかどうかわかりませんが、いずれにしましても、沖縄県からしますと、そういう意味での、ある意味で、差別感みたいなものは十二分に感じてるからこそ、去年の一連の選挙では、そういう主張をするわたしたち(翁長氏を中心とする勢力)に大きな票がきたのではないかなあというふうに思っております。
ですから、県民の考え方にもさまざまでありますけれども、それをどういうかたちで表現をするかというのは、やはりいちばんは選挙で、そういった民意というようなものを確認をして、そして自分の主張というようなものが、どの程度、県民から理解されてるかということを考えながらやるわけでありますが(県議会に内容を諮ることなく、沖縄県を代表する立場で、独自の見解に基づく主張を行った)、まさしくそういったいろんな経緯のなかで、沖縄県民が自主的に物事は判断をするようなものが、今日までたいへんおろそかにされておった(県知事の立場で、これまでの沖縄県政を全否定する趣旨の見解)という意味からすると、やっぱり県民には、わたしは「魂の飢餓感」と言っておりますけれども、ある意味で、一定程度の生活レベルやら、そういったものが保障はされていても、何かしら違うぞと。何か満たされないものがあるぞと。これは何だろうかというようなものが、それぞれに考え方としてあると思いますが、わたしはそれの総合的な意味合いで、「魂の飢餓感」というようなものをご理解いただかなければ、官房長官にも申し上げましたけれども、(翁長氏を中心とした勢力が独自の見解に基づいて主張する)沖縄の気持ちとか、個別の問題というのは、解決しないのではないかというような話をさしていただいたわけです。
具志 孝助(自由民主党)
残念ながら質問者には反論する時間がありませんので、先に進むわけでありますけれども、そこでずばり、知事は「先住民」、沖縄県はアイヌと同様に、いわゆる「先住民族」、そういうように考えているのか、あるいはまったく違うのか。ここのところはひとつ、明快に答えていただきたい。
いままで話したなかの、集約される部分だと思っていますから、そのことについてどのようにお考えですか。「われわれは先住民族」というような認識にあるのか、否か。
翁長 雄志(知事)
まあ、「先住民」という言葉の中に、まあ、具志議員のほうで、(翁長氏を中心とした勢力と同じ考え方を持つ)NGOはそういうふうに考えてるんだというような話がございました。ただ、普通の一般県民からすると、また別の考え方がたくさんあると思うんですね。
琉球王朝時代というようなものをどのように考えるのか。あるいはまた、日本全国にあった各藩(琉球藩[1872-1879])ですね。いろんなかたちでありましたけれども、そういったようなこと等と、それからいわゆる流米修好条約(1854)とかですね。そういったようなものを結んだ沖縄という立場は、(明・清の朝貢国であると同時に、薩摩藩の付庸国として、実情はいわゆる属国でありながらも形式的には主権国家の体裁をとっていた)琉球という立場はいったいなんだったんだろうかというようなこと等が検証されないと、これは「先住民」という言葉の現実的な判断というのは、なかなか難しいと思うんですね。
だからこういう(独自の見解による)歴史的な経緯を、誰がどのように総括をして、そういうのかは難しいと思いますが、ただその言葉を使うという意味では、わたし自身が今日まで使ったことがありませんので、その意味ではいまおっしゃるような(翁長氏を中心とした勢力と同じ考えを持つ)NGOが使う「先住民」とは違うかもしれませんけれども、ただ客観的な(独自の見解による)歴史の認識というものは、そうは違わないのではないか。
それをそういうふうに言うか言わないかというのは、やはりその沖縄県民ひとりひとりの今日まで生きてきた経緯、もう長くなりますからね、戦後70年たちましたし、わたしの姪っ子なんかも、3名は本土(県外)の方に嫁いで、たいへん幸せに暮らしてますので、そういったこと等も含めて、いろいろひとりひとりに思いがあると思いますから、なんともこの言いようがありませんけれども、ただやはり、沖縄がそういう「(民族の)自己決定権」という意味で、たいへん他の都道府県とは違うということだけははっきりしてると思いますので、これをどういうふうに表現するかが、若干、まだ県民議論がなされてないというふうに思っております。
具志 孝助(自由民主党)
知事は「先住民族」に対する認識・見解については曖昧に答えたと、こういうようなかたちでしか、わたしは受けとめられません。これも時間の都合で、これ以上の議論はできません。
国連演説は国際に、いわゆる世界に沖縄の問題を発信しようと、こういうことで出かけました。わたしたちはワシントン、アメリカ・ワシントンのほうにも事務所を開設しました。やはり沖縄の情報を発信しよう、そしてまた情報収集をしようと、こういうようなことであるわけですけれども、あれはどれぐらいの効果があるか、こんなようなことで金目の話をするとたいへんえげつないように思いますけれども、やはり、これは県民の血税でやってることですから、ワシントン事務所の年間における大まかな経費。そして今回の知事の国連演説における経費。ご説明願いたいと思います。
喜納 昌春(議長)
休憩します。
再開します。
町田 優 知事公室長。
町田 優(知事公室長)
お答えします。
まずワシントン事務所の経費ですけれども、これは平成27年度の予算状況でお答えしたいと思います。トータルで7,932万9千円となっております。
それから次に、今回の国連人権委員会(理事会)への出席した経費ですけれども、これはまだ清算中でありまして、概算でお答えしたいと思いますけれども、概算で、229万1千円程度となっております。
翁長 雄志(知事)
まあ、去年の12月から、当選をしまして、まあ、官邸等を訪ねますけれども、なかなかお会いできませんでした。ですから3月いっぱいまではそういう、お会いをできる機会はなかったわけですが、まあ、その間、わたくしの、いつものコメントの中には、「工事を中断して話し合いをしてもらいたい」ということだけは、いつも付け加えておりました。
まあ、そういう最中、4月に入りまして、官房長官、それから総理、5月に入りまして中谷防衛大臣というかたちで話し合いができて、そのあと、まあ、わたしがそういうふうに中断をして話し合いに応じていただきたいというのは、今年の初めからずっと言ってきたもんですから、それを受けてかどうかわかりませんが、官房長官のほうから、一か月間中断をして話し合いをしたいという話がありましたので、今日までわたしもそういうふうに申し上げておりましたから、それは、まあ、いいことだということで、応じたわけですね。8月10日から9月9日までということでありまして、5回ほど話し合いをさしていただきました。
その中では、わたくしは、ある意味で言い尽くしたところがあると思いますけれども、官房長官との会談が、ちょっと、もしかすると1回ぐらい間違うかもしれませんが、3、4回あったと思うんですね。そういうなかでも、なかなかご自分の考え方をおっしゃらないんですよ。
ですから、いわゆる普天間の危険性除去がいちばんと。そして新辺野古(普天間飛行場代替施設)しか解決の道はないと。ちょっと、こう、ニュアンスが違う言い方からいいますと、梶山先生の、まあ、ある意味で弟子だったので、梶山先生の気持ちはよくわかるということぐらいを、あとはわたくしのほうで、今まで申し上げました(独自の見解による)歴史的経緯を含め、基地の在り方とか、抑止力の問題とか、いろんな話をさしてもらいました。それで、まあ、防衛大臣とは割合、抑止力の問題も話もしましたが、それは、割合、いちばん議論があったなあという感じはしております。防衛大臣とはですね。
あと最後の、5名の、官房副長官も入れると5名の閣僚には、いわゆるあれは4回目でしたかね、わたしのほうで、なぜわたしがそういうふうなことになったかといいますと、「あれですか」と。「わたしがこれだけ話ししたことは官房長官はご理解いただいてますか」と、なかなかぼくもわからないんだよと話をされておりまして、「他の閣僚もわからないんですかね」と話をしたら、たぶんわからないと思うなあと。だから、わたしが「なにか、新聞かなにかに載ったのを読んだことありますか」と。読んだことないと。そういう話まで、きょう初めて言いますけど、あったので、「これは是非、説明さしてもらわんといかんですね」と言った時に、4回目の会議で、外務大臣、防衛大臣、官房長官、沖縄担当大臣、そして官房副長官というようなかたちでやったので、そこでは20分ほど、わたしがあらためて経緯を含めて、話をさしてもらいました。
最後は、今度は、同じようなメンバーに安倍総理が入りまして、これもう、締めのあれになりますので、そこでも、ほぼ今までの議論と同じことを話されておったので、わたしからすると、なかなか(独自の見解による)歴史というものに対しても、理解がいただけなかったという気持ちもありますから、「お互い70年間、別々に生きてきたような感じがしますね」という話をしまして、そして「工事再開するんですか」って言ったら、そのつもりですとおっしゃったので、わたくしからすると、「それでは全力をあげて阻止させてもらいます」ということで、まあ、話は終わったわけですね。
これはこの経過なんですが、ただ、わたくしはその都度、官房長官だったり、防衛大臣だったり、いろいろ話をしてきましたので、その会談が終わったあと、集中会議が終わったあと、マスコミ等には「わたしはこう申し上げました」という話をしましたので、その意味からいうと、わたしが話をしたことそのものは報道で取り上げていただいたのかなあと。
しかし、向こう側からすると、ほとんどそういうふうには答えていただけませんでしたので、その1か月の評価という意味からすると、双方の溝がどうだというようなものよりも、わたし自身がこういうことを訴えてきたというようなことが、多くの方々にご理解をいただいた、その面に触れていただいたというような意味からすると、意義があったと思いますし、双方という意味からすると、やはり結論ありきだったのかなあというようなことも感じはしました。
具志 孝助(自由民主党)
わたしも、話し合いはたいへん大事で、評価をするところです。わたくしは、今回の集中協議で最も大事なポイントだったのは、普天間問題の原点に対する認識。知事がいわゆる終戦、土地の接収にさかのぼると。あるいは琉球王国時代の話まで取り出して、先ほどの国連の演説の内容まで言ったのですが、やはり普天間の問題は1996年、SACO合意、あそこが原点ではないかと、わたしは思っております。これもまた次の機会に譲りたいと思っております。原点はやはり違うんじゃないかと思っております。
新しい協議会を設置をしました。安慶田さん、よくがんばってもらったわけですが、これまでの協議会とどう違うのか。どういうようなかたちで進めていこうとされるか。このへんについてはいかがですか。どちらが答えますかな。
安慶田 光男(副知事)
具志 孝助 議員にお答えします。
1か月間の集中協議の中におきましては、辺野古の埋め立ての問題が主でありましたけれども、まあ、その一か月間の集中協議の中ではいろんな問題、出たんですが、結論としては、先ほど知事からもありましたように、もう、すれ違いであったんですが、それなりに、まあ、知事の思いを、あるいは(翁長知事を中心とした勢力が独自の見解に基づいて主張する)沖縄県のおかれた立場を、政府の方々に、あるいは閣僚の方々へ話すことによって、そしてまた、そのたびに本土(沖縄本島は本土5島のひとつ)のマスメディアも取り上げていただいて、ぼくは、ある意味では、(翁長知事を中心とした勢力が独自の見解に基づいて主張する)沖縄の立場を理解するいいチャンスだったんじゃないかなと思います。
それで、そのあと、菅官房長官とも、わたしも何度か話してると、もうこれで話し合いが終わりというわけにはいかないだろうとことを双方からありまして、いずれにしても、結論がひとつに見いだせなくても、あるいは平行線であっても、やはり国と県は、なんらかのかたちで協議会を持っておく必要があるということで、もちろん沖縄の基地負担軽減と、それから振興策を、2つ交えた協議会を持とうということになりました。
具志 孝助(自由民主党)
これはメンバーはどういうようなことになって、名称はどうなんですか。関係する市町村代表も入るんですか、メンバー。
安慶田 光男(副知事)
お答えいたします。
名称は、菅官房長官のほうから仮称というかたちであげたんですが、まだそれ以後、いろんなことがあって調整してませんけども、仮称であってますので、正式名称とはしてませんが、やるという意思については決まっておりまして、まず官房長官と、それから沖縄関係閣僚といってますね、それから外務省、外務大臣、それから、防衛大臣、それから沖縄担当大臣、それに内閣府の杉田副長官。沖縄県からは、知事と担当副知事が入るというかたちになっており、いや、この話は、(市町村の代表については)出ていませんでした。
ただ、われわれでまた話ししたのは、国と県との協議会の中ということでありまして、それだけしか話し合われませんでしたが、前に、最後の、集中、一か月間の集中協議期間中の、最後の4回目の時に、その宜野湾から抗議のほうがあったということで、それをどうするかということは、県に対する、自分は要請を受けたということで、長官から話がありましたけど、もうあと一回しか残っていませんでしたので、それ聞きましたら、しかもその時は最後で、総理も入るので、そこに参加させるのは、かなり時間的にも無理だと。物理的にも無理だということがありまして、できてませんでした。
ですから、この新しいものを入れるという話ではありませんでしたので、一か月間の集中協議の中に参加さしてもらいたいという意向だったということで、理解しています。
具志 孝助(自由民主党)
当然、関係市町村というか、組長さんも入れるべきだと思っております。
それから第三者委員会から「瑕疵あり」ということで取り消しを決断されたようですが、これ、いつ決定というんですかね、通知をされるんですか。
翁長 雄志(知事)
これは、これからのいろんなシミュレーションが描かれているわけですから、いま、まだ県民にもそういう話はしておりませんので、そういったこと等は、今日までのいきさつのなかで、わたしの政治的な立場としてしっかりとやっていきたいと思いますけれども、時期とは云々は、いずれわかることになろうかと思いますので、いまここで申し上げるということは差し控えたいと思います。
具志 孝助(自由民主党)
最後になるかと思うんですが、取り消しになったらやる不服申請っていうんですか。裁判に発展されることが予想されるんですが、知事はその法廷闘争。これに対する、まあ、これは相手側から訴えられるかどうかと思うんですが、覚悟というのか決意というのか、このへんについてはどのようにお考えでしょうか。最後でお伺いします。
翁長 雄志(知事)
まあ、去年の選挙からのわたしの公約でありましたので、やはり前知事がその4年前の知事選挙で「県外移設(を含めあらゆる手段で普天間飛行場の危険性の除去に取り組む)」ということを公約をしておりましたけれども、残念ながらあのようなかたちで(公有水面埋立法に基づいて)承認しまして、その結果、そういった内部でもいろいろあったというのも聞いておりましたから、第三者委員会を設置しまして、7月16日に「法的な瑕疵がある」ということになっておりますので、わたくしからすると、それを踏まえた上で精査をして、そしてまあ、取り消しの手続きを開始してるわけでありますから、それの延長線上に何があるかというのは、いろいろ想定されるものがあるもんですから、こうだからこうですというようなことにはなりませんので、いわゆるまあ、今日までのいきさつから、だいたいそれぞれが予測できるようなものがあろうかと思いますが、しかし相手がいることですので、どういうところに曲がっていくのかわかりませんので、いまここで、はっきりしたことは差し控えたいとは思います。
具志 孝助(自由民主党)
ありがとうございました。